再録 「原爆堂」から「ノアビル」へ 后仝鋲箸米刺検 


               后仝鋲箸米刺

 M.アレクサンダーは「塔の思想」の中で、ギリシャ建築がB.C.4世紀に及んでも原則的に塔を持たなかったことを指摘して、ギリシャ芸術は「塔を建設しようという一切の内的衝動を欠いている」と述べている。それは人間がすべての尺度になっている「法則と制限の芸術」であり、人間が「自己自身から出て、それを乗り越え、そうすることによって無限の空間と結合しようとする」塔建築とは互いに排除しあうものだと考えた。

白井晟一は既に述べたように、ギリシャ、ローマの文化や美術への関心と敬愛から出発していた。善照寺は仏教伽藍だがギリシャ神殿に通じる造形的性格を示している。彼にとって建築造形としての塔は初めから馴染んだものではなかったろう。近代においては、塔には調和やバランスを破ろうとしない古典的な美意識を乗り越えようとするバロック的な美意識や精神構造に通じるものがある。塔は白井においてもバロック的な境域の中で当場してきたものではなかったろうか。

ノアビルは三つの造形の複合体ではあるが、全体として示しているのは、結界にそそりたつ塔のイメージである。1950年代の代表的な表現だった浅草善照寺のベースになっている古典的な美意識とは明らかに異質であり、その変化はすでに述べたように、日本の社会と文化に対する認識の変移と関わったものでもあったと考えられる。

アレクサンダーは又、塔というものを次のように言う。

「塔は孤独な道標(みちしるべ)のように、人に自信と慰安を与える仲介者のように、雄々しく誇らかに聳え立つ。それは、泡立つ大洋の中の帆柱のように、全てを呑み込んでしまう形の無い空間の脅威に対して、確実な定点を示すのである。」

白井がノアビルを都市の道標と言ったとき、かれにはこれと通じるイメージがあったのではなかったろうか。ノアビルの後、規模においてもエセーのような作品、松濤美術館と石水館を完成させて、その2年後に他界する。
 

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再録 「原爆堂」から「ノアビル」へ 検〔圭發療

                      検〔圭發療

 楕円的思考は単純な二元論とも相対主義とも異なる。中心が二つということは言葉の上でそれ自体すでに矛盾であり、最初から対立が含まれている。二つの中心(焦点)の近接離反に応じて、楕円の形はさまざまに変化するが他の形へとは移行することはない。楕円の本質は変わらない。二つの中心の関係はむしろ、解釈学的循環の中にある主観と客観、個と普遍などの関係に近いかもしれない。観念論における主観と客観や個と普遍の対立関係は、解釈学的循環のなかでは単純な対立を失い、運動する一つの思考世界を成立させる。

楕円的思考は多元主義と対立はしないが、二つの中心の相関関係から生まれる運動が欠かせない。この国におけるイデオロギーのアクチュアリティーや有効性に見切りをつけた白井が向かったのは、親和銀行本店、特に第三期の懐霄館とノアビルという建築表現に表れている世界だった。それらの建築と彼の思想を読み解く鍵は、バロックと楕円の思想にあると思われる。

「人間というものは矛盾の塊なんだ」という言葉を何度白井から聞いただろう。白井晟一という建築家は常に言葉の前に人間という言葉をつけて考えていたように思う。人間の文明、人間の科学、人間の経済、人間の社会、そして人間の建築など、である。近代主義的合理主義、科学主義、技術主義、生産主義等の流れの中で、いつの間にか「人間の」という主体が抜け落ち、それぞれが自立したものとしてシステムを形成した。そういう世界を目の当たりにしながらも、人間の本質を矛盾に見た白井が、建築の論理的方法論や大系を構築することに関心を持つことがなかったのは当然だった。建築家の発想、施工会社の営利主義、建築の工業生産化、クライアントの所有エゴイズム、時代遅れの建築法制、一般社会の建築に対する無理解、無関心、そういったものが合わさって現実の建築が成立しているのを見れば、白井にとって、建築そのものが矛盾の塊であったに違いない。ノアビルは彼の建築作品の中でもとりわけ多くの矛盾を抱えた熾烈ケースだったように思う。

原爆堂は対照的な二つの形態を一つの造形に止揚しようとするものだったが、ノアビルは楕円のシャフトとレンガの量塊的な基壇に加えて、シャフトに寄り添うエレベーター棟の三つの要素から成る。そして三つのブロックはそれぞれ独立した、できるだけ異質なものでなければならなかった。エレベーター棟は最初打ち放しのコンクリートで考えられていたが、構造上の様々な配慮から、コンクリートのように見えるアルミのダイカストが用いられた。

親和銀行佐世保本店の建築は三つの建築の複合体であり、それも最初に全体の計画や構想があったわけではなく、継ぎ足しの上にまた継ぎ足すという経緯を辿った。白井が親和銀行の建築について語る時に、移り替わる支配者の文化によって改造に改造の加えられたハギア・ソフィアになぞらえたのはそのためである。そして何よりも苦慮熟考しなければならなかったのは、原爆堂を彷彿させる石のマッシブな鬼の建築と、内側に3階吹き抜けのバンキングホールを持つブロンズのパネルで構成された挟の建築を如何に繋ぐかだった、と私に話したことがある。そうして出来たのが二つの建築とは異質な全面ガラス張りの小さな部屋だった。

ノアビルの場合は設計者自身が、三つの異質なものの複合という三位一体の意想でまとめあげたものだったから、そこにエネルギーの蓄積を計算することが出来た。斜線規制をかいくぐるように、敷地一杯の基壇の上に楕円のシャフトを乗せた建築は、さらに打ち放しコンクリート様の無機質なもう一つのシャフトを寄り添わせることによって完成した。その無機質なシャフトはこの建築の部分部分を繋ぐ器官としての機能を担うものだった。

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再録 「原爆堂」から「ノアビル」へ 掘(弧析世箸靴討侶築

             掘(弧析世箸靴討侶築                       

白井晟一が設計したものの中で「ノアビル」ほど異例ずくめの建築はなかったのではないだろうか。。クライアントは竹中工務店に発注したものだったが、設計は誰か建築家にという条件がつけられた。竹中工務店ではどのような討議の結果であったのか解らないが、当時親和銀行本店も最初から竹中工務店が施工しており、設計部から担当していた部長のKさんと副部長のAさんが白井を訪れる。クライアントから直接ではなく、ゼネコンからの依頼というのも異例なことだった。さらには基本設計が終わり、暫くした段階で今度は白井を外して後は設計も竹中で進めてほしいとクライアントが要請する。それに対して白井は基本設計だけを売り渡すことはない。同じ建築の仲間として竹中工務店もそのような理不尽に屈するべきではない。大変残念だが共にこの仕事はなかったことにしよう、とKさんとAさんに話したという。

当時ベルリンに留学していた僕のところを訪れ2週間ほど滞在したのは、そのような経緯で中断していた時期だった。彼のこの時ほど消沈している姿は見たことがなかったほどで、ノアビルにいかに執着していたのかが推測できた。かれが帰国して間もなく、KさんとAさんの努力で再開されたのだが、内部の設計は白井の指導のもとで竹中工務店が進めた。そうしたことがあって、完成したときは、構想・白井晟一、制作・竹中工務店というこれも異例な形で発表された。かれは常々、日本の「現代」建築は外側ばかり頑張って、中のお粗末なものが多いと批判していたくらいで、外観と内部は設計の意想においても、緻密さにおいても一体のものとしてとり組むのが常だったから、ノアビルへの執着は白井の建築家としての活動の中では特異なケースだった。

このような経緯を振り返ると、ノアビルの場合、その形態、外観への思い入れの強さが特別であったように思われる。それは先ごろ壊された親和銀行三原橋支店の建築と並ぶかれの数少ない都市の建築の一つだが、白井の都市の建築に対する考え方や想念を示していて余りある。

ノアビルは都市の建築というばかりでなく、白井の文明論を直接示すものと考えられる。そしてそのことによって「原爆堂」と通底しているように思う。原爆堂は核を手にした文明に対する批判と認識を前提としている。ノアビルは都市全体へのコンセプトの欠落した雑獏さと均質性によって支配された東京という都市を対照化する建築として、その只中で都市の道標となることを志向した建築と言える。岡崎乾二郎氏は原爆堂をSF的と評したが、ノアビルはさらにSF的と言えるかもしれない。ノアビルの視線が向かうのは、東京という都市を越えて、茫漠とした宇宙の景色ではないのかという空想を誘う建築のようにも見える。

その建築が二つの中心から成る楕円という形態をとることになったのは、弁証法的な展開に白井がアクチュアリティーを認めることが出来なくなった境域を示すものではなかっただろうか。

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再録 「原爆堂」から「ノアビル」へ 供 ̄澆了彖曚搬扮澆了彖

              供 ̄澆了彖曚搬扮澆了彖

 円は一つの中心で成り立つ調和と完全の象徴のような図形である。その中心が二つに分裂して、二つの焦点から成り立っているのが楕円というわけだが、楕円の二つの焦点が限りなく接近してついに一つになると円が生まれるという言い方も出来る。円は楕円の一種ということになる。水の波紋は同心円で広がるが、惑星の軌道は楕円を描く。どちらが先か、あるいはより本質的かという議論には意味がないだろう。

白井晟一の原爆堂計画は、理想主義的な円の思想構造を持っていたのではないかと思われる。世界大戦があり、広島、長崎に原爆が投下され、第五福竜丸の被ばくという厳しい現実があってなお、原爆堂の造形は理想主義を捨てていないように思われる。しかしそれから10年余りして、原広司氏のインタビューに応えた「イデオロギーでは自分の仕事が育たなかったことに気がつきかけるのが遅かった」という言葉は、裏返せば、日本という国の文化に対して、イデオロギーではどうにもならないという彼の認識を示している。弁証法は相反するものを一つの調和に導こうとする、ある種のイデオロギーにとっては有効なアイテムと考えられてもいたものである。原爆堂の造形の際立った性格の一つと思われる、対照的な形態の弁証法へのこだわりは、少なくとも彼の当時の思考への手掛かりになる。

表現は表現者が社会に投げ込む石のようなものである。その表現が心魂をかけたものであればあるほど、そこに生じる社会とのコミュニケーションの結果は深刻なものとなって、こんどは表現者の思考と信念を貫く。原氏との対話に表れているものは、「原爆堂」を表現したことによっても経験することになった、単なる心情ではなく彼の認識と思想に大きく影響を及ぼしたものであったに違いない。

白井は終生ニヒリズムやアナーキズムとは無縁であった。強いて言えば人間を信ずることを捨てることのないイデアリストと言わなければならないかもしれない。今回の「白井晟一展」を通じてもよく知られるようになった、前川國男氏の白井への追悼文、その中で「この国の闇を見据える同行者は居なくなった」という慨嘆は、彼が戦後の日本の近代主義建築のリードオフマンであったにも拘わらず、近代主義を相対化していた白井の見続けた闇とどう重なるかは今は分からないが、やはり闇と呼ばなければならないものを背負い続けていたことを示している。

望むべき世界を円と見るか、楕円と見るかで思想は異なっ針路をとるになる。イデオロギーが日本の社会や文化の形成に力とはならないという認識が向かったのは、強いて言えば楕円の思考ではなかったか。

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再録 「原爆堂」から「ノアビル」へ 機 宙空に浮かぶ楕円の塔

    

                        2011年の夏に書いたブログ「原爆堂からノアビルへ」の再録です。

                         「原爆堂展」へ向けてこれを改めて推敲しようと思います。

                          章立ては以下の通りです。

          

          1 宙空に浮かぶ楕円の塔

          2 円の思想と楕円の思想

          3 文明論としての建築

          4 矛盾の塔

          5 孤独な道標

 

                                         機|莇に浮ぶ楕円の塔 

キューブリックの、宇宙に突然現れた漆黒の壁と「原爆堂」のイメージが、どこか似ているとツイッターに書いたことがある。原爆堂計画は1954年の設計だから具体的な関連性はあり得ようも無い。原爆堂について考えていたら「2001年宇宙の旅」の黒い壁を思い出したのだが、実はこの時「ノアビル」がもっと近いイメージに繋がると感じていた。

ノアビルは白井自身が「都市の道標」という言葉を語っていたり、ノアビルの立地がいかにも道祖神に相応しい地勢であることからも、道祖神の性的な造形とダブらせて論じられることも少なくなかった。道祖神から離れても、この建築は様々なアレゴリー解釈を可能にする不思議な建築である。そういうアプローチも魅力的ではあるるが、それとは別にノアビルが東京という都市と調和してその一部として都市を形成する建築を志向するものではなく、むしろ逆にその都市を対照化する「目」か「鏡」のような存在として都市を形成するあり方に魅かれている。

ノアビルの設計に際して、ブロンズの黒い鋼板で形成された楕円のシャフトは最初から決まっていた。しかしそれを受ける基壇の造形はなかなか決まらなかったのだが、同行したヨーロッパ旅行中に急に決まった。彼が現出させようとするもののモチーフの中心は黒い楕円のシャフト、漆黒の塔だったと思われるが、ラピュタではないから、浮いたままでは成立しない。地上の建築として着地させるために、彼はいわば工学的な楕円の硬質で漆黒のシャフトを受ける造形として、極端に対照的なロマネスクの城巖風の古拙な造形を選んだ。二つが合わさってみれば、割り肌のレンガの量塊から生まれ突き出して、やがて聳え立つ漆黒の楕円シャフトが現れるという造形へ展開することになった。


白井は若い時は、ギリシャ・ローマの古典世界が、建築や美術においても、哲学や文学においてもなによりも関心と畏敬の対象だったと話している。そして、ドイツへの留学時代はゴシックがいわば彼にとっての建築というものの原質のようなものになったとも語っている。いずれにしても建築や美術への関心や美意識の変遷を話す時、ヨーロッパの文化や美の様式を引き合いに出して語ることが多かった。

親和銀行佐世保本店の一期の建築で、原爆堂の造形としての意想を多少なりとも実現した頃からではなかったかと思うが、上記のような話の流れの中では、バロック的な造形や美について語るようになる。それと並行するように密教美術に対する関心も語られるようになった。

白井の設計は木造の住宅群や善照寺など、端正な姿と構成が特徴と見なされていた。バロックは美的世界としては、いわばその対極にある。加齢とともに枯れていく日本人的なタイプと違って、老成するに従ってむしろ人間のドロドロした、官能や業といった人間の本質を正面から見据えるようになったように見える。バロックへの関心もそのような、建築というより、人間的な自己への省察と関わっていたと言える。楕円が登場するのはそのようなバロック的な世界においてであった。

最初、部分やディテールに表れていた楕円はやがて、平面が楕円で、建築全体を楕円によって性格づける「ノアビル」の建築となって結晶する。これはいわば円と四角の弁証法を示すような「原爆堂」からの展開であると同時に大きな転換を示していたのではないか。

16:36 | 白井磨パーソナルブログ 「柊心居にて」 | comments(0) | trackbacks(0)
「今」の原爆堂計画

 「原爆堂計画」がヒロシマ・ナガサキをモチーフとしていたことは「原爆の図」の美術館として提案されていたことから明らかですが、「悲劇のメモリィを定着する譬喩としてではなく」と白井のコメントにもあるように、「原爆堂」のモチーフが原爆ドームのもつ意味とは違ったところにあったことがわかります。岡崎乾二郎氏は原爆堂計画の配置図を示して、それが「核分裂の図式をそのまま模しているとしか見えない」と指摘し、さらに「水面下から立ち上がるシリンダー状の本堂は形態のみならず構造において核施設、原子炉こそ酷似しているだろう」と解析しています。原爆堂が設計されたのは、止まらない核実験のなかで第五福竜丸の被爆事件があり、海産物の放射能汚染が広がり、一方でアメリカ大統領の国連での原子力の平和利用、原子力発電所推進の宣言が行われ、それに従う形で日本でも原発導入が決定された時期でした。核兵器廃絶を求めるラッセル・アインシュタイン宣言が世界に発信されたのは原爆堂計画発表の4か月あとでした。

 白井が原発に対してどのような見解をもっていたかは、直接的な言葉としては残されていません。しかし白井が青年時に兄事し交流のあった戸坂潤は物理学出身の哲学者であり、またかれの哲学は科学の領域での大きな変革に触発されたものだったことからも、白井がその影響を受けていただろうことと岡崎氏の指摘と合わせて、原爆堂のの設計に原子物理学的な知見が影響していたことを読み取ることは難しくありません。戦争と原爆に対するメッセージをもった「原爆堂プロジェクト」が核そのものに対する視線をもち、核と文明、核と人間の問題を視野に入れたものであったと言えるでしょう。

 2010年から11年にかけて開催された「白井晟一展」展覧会評には「原爆堂計画」を核の文明に対する警鐘と捉えたものが幾つかありました。白井は「原爆の図」の美術館としては実現できない状況が明らかになると原爆堂のパンフレットを作り海外の建築界やかれが留学時に師事した哲学者たちに送付しようとしましたが実行されませんでした。この時点でかれが原爆堂の用途を美術館から離れてfreeにしていたことが分かります。その後建築の世界で取り上げられることはあっても、白井の代表的な作品の一つとして、プレゼンテーションされたパースや図面の表現が注目されるか、デザインや空間構成がアレゴリカルに論じられるかで、核の文明に対峙する主題や建築家のアイデンティティーを問うメッセージが議論の対象となることは彼の生時ついになかったように見えます。

 「原爆堂計画」に核の文明に対する警鐘を見る見解がコメントされたのは、「白井晟一展」の会期中に起こった福島の原発事故の衝撃からであったことは明らかです。ある新聞のコラムには「残された設計図は、核兵器廃絶をもとめながらも核にほんろうされた戦後の日々を見つめてきた。今、再び向き合う。」というものがありました。科学技術への信仰と経済繁栄を第一に考える風潮を背景に、核の平和利用、先進的なエネルギー政策として進められてきた原子力発電の政治的、経済的非理性をフクシマが暴き出すことになりました。原爆や核実験の脅威にさらされ続けていた状況の中で計画された原爆堂に込められたメッセージが、核の文明に対する警鐘ととらえられたのは、「核にほんろうされてきた戦後の日々」が継続し続けているからに違いありません。

 

 

 

 

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二つの原爆堂

 

                二つの原爆堂

 

 白井晟一が原爆堂を計画していた時、机のよこにはもう一つの案が置かれていた、という川添登さんの証言を五十嵐太郎さんの本で知った。それはキュービックに円筒の載った形をしていた。1955年発表の原爆堂計画はその姿や気配を伝えるパースでよく知られているように、強いキャンティレバーの建築である。地表から独立して水面から突き出した円筒が高さを4分の1ほどに圧縮されたキューブを刺し通す。そしてこの造形を印象づけているのは何といっても円筒から宙空に張り出したキャンティレバーである。(岡崎乾二郎氏は白井のキャンティレバーがメタボリズムのそれに先行するものだったことを指摘している。)それに対して原爆堂のもう一つの造形的なモチーフは、不安定の安定を示すキャンティレバーと対照的に、大地にしっかり根を広げるような基壇が円筒を支える造形だった。幾何学的な当時の基壇は不整形で中世的なレンガ造に変り、円筒は楕円形の塔にかわった。ノアビルである。1955年のもう一つの原爆堂と1974年のノアビルの間に白井と時代の変遷と変わらないものを見とめることも出来るだろう。東京を見下ろす台地に立つノアビルに白井が秘かに託していたものが浮かび上がってくる。

 このように見てくれば、親和銀行本店の建築の意想も明らかになってくる。一期が原爆堂をモチーフにした造形を示していることはよく知られている。そして二期の建築は石の基壇に前面が楕円のカーブを描く金属製の筒が載る造形である。つまり白井が原爆堂の計画時にもっていた二つの造形的モチーフがここで邂逅していると見ることが出来る。そして三期の「懐霄館」はこの二つの造形とは全く異質な造形を示す塔の建築としてつくられた。しかし塔という建築の形は指標や統合をモチーフとするものであり、それは白井が二つの原爆堂に込めた意想と深く結びついている。                            

                                           2017.6.30.白井磨 

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再録 岡崎乾二郎「芸術の条件・白井晟一という問題群」を読む 

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ここでは原子力発電の本質的な問題が指摘され論じられている。 

1.1954年は第五福竜丸事件、つまりアメリカのビキニ環礁での水爆実験による被爆事件が起こる一方で、原子力発電の日本への導入計画が本格化している。そして白井が原爆堂計画の設計に没頭していた年でもある。

2.「前年53年の暮れ、12月8日にアイゼンハワー大統領がおこなった、アメリカ原子力政策の平和利用への転換を告知する演説「アトムズ・フォー・ピース」に素早く反応し、『読売新聞』紙上で「ついに太陽をとらえた―原子力は人々を幸福にするか」という連載が始まったのは54年元旦からである。」

書籍化されたこの連載の冒頭で「校閲者の中村誠一郎は『原子力は太陽の中で熱が生まれているのと同じ理によるものですから、小型の太陽がすでに地球上で完成しているといってもよいわけです』といささか上機嫌(と感じるくらい)に記している。」

「この連載の特筆すべき点は(当然、原爆が与えうる、そして与えた凄惨な惨禍を記述しつつも)、戦前からの原子力開発、とくに戦時下での日本の原爆開発の歩みをも詳細に記し、当時の科学者たちが抱いていた、原子核エネルギーの持つ可能性への理論的高揚、技術的期待を率直に伝えていることにある。」

3.白井晟一が兄事していたと伝えられている戸坂潤の「科学論」の一部が紹介され、「形而上学的な因果必然性の観念は、ハイゼンベルクの量子力学の原理に属する不確定性原則によって、成り立たないことが証明されるに至った」等の記述を受けて、

「ハイゼンベルクの発見した不確定性原理(電荷微粒子の位置と運動量は同時には観測できない)によって、初めて自由は、物質に(言い換えれば精神を物質に)基礎づけられることが証明された、ということになる。」

つまり、「ニュートン以来の絶対空間、絶対時間という普遍[不変でもある]と思われた枠組みが可塑的、可変的なものへ転換され」た。

「物質はもはや絶対(普遍)空間にも時間にも基礎づけられない。[中略]物質とその振る舞いこそが空間と時間という観念(そしてそれを必要とする観察者の主体)を仮設する。」

4.「しかし、国家をはじめとする近代の社会制度は、この解体されつつあった絶対空間、絶対時間こそを前提に、社会基盤を整備し、すべての事物、場所(土地)、財、人間のアイデンティティーを固定し測定しようとしてきた。」

「近代化とはむしろ、この絶対空間、絶対時間の無限延長性を現実的制度として整備しようという遅れたプロジェクトだった。」

5.岡崎は20世紀芸術においては「先験的な時間、空間の克服」が「基本的なプログラム」で、「その最終的な目標は、太陽に独占された時間を奪取すること」だったとし、それを示す象徴的な作品例として1913年に上演された、A.クルチョーヌィフ脚本、K.マレーヴィッチ美術の「太陽の征服」が挙げられる。そして「それから20年足らずの間に、原子核物理学は地球の天体的宿命を変更する可能性、つまり実際に太陽エネルギーをつくり出す可能性を実際に手に入れてしまう。」

しかしその時点で、ジョルジュ・バタイユは「『太陽を手に入れる』可能性こそ、人の存在そのものを分裂、解体させること、人という観念を確実に終わらせる力を持つだろうことを的確に見抜いていた。」

6.本章の最後はバックミンスター・フラーの次の言葉を引用して締めくくられている。
「自然は、われわれが安全に接近できる原子炉との最短距離を9200万マイル(すなわち太陽と地球との現在の距離)であるととっくに決定している。」

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再録 岡崎乾二郎「芸術の条件・白井晟一という問題群」を読む

掘ヽ吠裂

第3章では白井のエセー「縄文的なるもの」と伝統論争がとり上げられる。

1.岡崎は縄文文化論の核心を次のように示している。

「弥生以後に形成された日本という国家そして民族の連続性、アイデンティティーを基盤から崩壊させ、日本という民族、文化が、むしろそれが切断した外部としての縄文文化によってこそ支えられていたことを自覚させること、つまり国家そして民族という文化的同一性そのものを破壊することにあった。」

弥生と縄文は国家および民族というものへのアイデンティティーとそれを基盤から崩壊するエネルギーという対立する軸としてとらえられている。そう考えれば「縄文的なるもの」に先行する「原爆堂」のプロジェクトは、すでに縄文的な精神とエネルギーを基盤としなければ進めることは出来なかっただろう。

岡崎の言うこの縄文文化論がもし伝統論争の時間帯に建築界で広く自覚されていれば、信念のように語られていた近代主義を一時的に方寄せて、国家の全体主義が押し進めていた日本様式の追求に第一線の多くの建築家たちが参加していた3、40年代が、本質的に論じられて、建築家の知が傷つけられたままになることもなかったかもしれない。もっともその時代の当事者が生存していない今日では、歴史としてすら論じられることも殆ど無い。

2.川添は白井の「原爆堂パンフレット」の解説の中で、原爆堂のデザインの起点を次のように伝えている。「原始時代に潜在していた創世のエネルギーを引き出し、それを近代文明によって解放された原子力および原爆に対峙させるべく場所として位置づけられている。」これはパンフレットの英文を岡崎が訳して引用しているのだが、そのまま白井の意想と考えるには思考が単純すぎてひねりが無さすぎるし、そのアナクロニズムは白井の論理には馴染まない。

[「川添登評論集 建築1」1976年、産業能率短期大学出版部刊 に掲載された原文のこのくだりは次のようである。「太古不明の中にかくされている創成期のエネルギーを引き出すことによって原爆に対抗し、同時に近代文明が解放した原子にエネルギーに対応させるということにデザインの出発点が求められている。」]

原爆堂のデザインを原始のエネルギーと原子エネルギーとの奇妙にアナロジカルな対峙として直接結びつけるのは白井の本意とは考えにくく、ここはむしろ岡崎が示しているように「国家そして民族という文化的同一性そのものを破壊する」意味を担った力、エネルギーとして白井は暗示的に語っていたものではなかっただろうか。つまり原始のエネルギーとは国家以前のむしろ国家を創り上げるエネルギーの意味で使われていると考えるべきだろう。

フクシマを経験しても明らかなように、原発の問題は単純化された技術の問題に収束出来るものではなく、それを経営し監理する国家や特殊な企業を中心とする社会のシステムの問題に関わっていることを目の当たりにして、核の問題はつねに国家の問題を抜きに論じてはリアリティーを欠いてしまうことが理解されている。原爆堂の設計に際して、白井が先ず国家というものと如何に対峙するかという思考に推敲を重ねなければならなかったのは当然であったに違いない。

[拙稿「イロニーの様式供廚涼罎如原爆堂設計のプロセスを解析し、それが全体的なるもの(=幻想としての全体)の否定から始めなければならなかったものとして考察した。全体的なるものとは、民族や国家、文明、社会、科学及び技術信仰、あるいは社会の風潮や流行を含んでいる。その幻想が個の存在や表現の客観性を定位しようとする「非理性」であり、それを克服することが「原爆堂」計画の出発点であったという解釈を述べている。「白井晟一展」のカタログにその部分を要約して掲載した。]

3.原爆堂の形態は次のように解析される。

「一つの塊から分裂され引き離されたような二つの円(マウンド)。その二つをなお結びつける靱が池となり、その上に小さな正方形(直方体)とそれを貫く円(シリンダー)で形成された本堂が浮かぶ。基本幾何形体による構成主義的なデザイン。いや分離する二つの円形マウンドの形状は、細胞分裂する細胞か、いや核分裂の図式をそのまま模しているとしか見えない。」

「では、この配置計画全体を、大地を原子核に見立て、その核が二つに分裂したさまとみなすなら、池の中央に小さく浮かぶ本堂の円形のシリンダーは、原子に衝突した中性子か、あるいはそのとき放出された中性子であることにもなる。」

「いずれ、この《原爆堂》計画が、遠目で見て核分裂の姿を、近目で見て、原子炉の構造を模しているといっても、おおよそ見当違いではないだろう。」

4.「核エネルギーが生み出される機構自体こそをモチーフにしている」とみなすことの出来る原爆堂は「人の関与できる臨界を超える」ものの危険に対する認識を示しており、岡本太郎の縄文文化論とも呼応している。

5.「精神は物質であるゆえに、自らの位置と運動を測定できず、つねに(同時に)矛盾する複数の論理、相互に対立する複数の世界に属すほかない。」

「こうした認識は、精神と物質の対立(あるいはそれにもとずく弁証法)という偽りの問題を廃棄する。」

「物質=自然にこそ矛盾=複数論理が生じ、その矛盾の反映として精神が現象しているにすぎない。」

[白井の創り上げた建築空間に対する近代主義的建築論からの違和感や無理解はこのような唯物論的視点の欠落にもあるのかもしれない。例えば白井の空間に現れた闇あるいは薄い明るさは、空間を仕切る壁から圧迫感をむしろ減衰させ、人と空間、人と物の対立の関係を希薄にする。あるいは白井が「建築は徹頭徹尾、物なんだ」と言う表現の意味も精神と物質の単純な対立を前提とする二元論からでは理解しにくい。建築は人がそこで経験する空間としてまず捉えられなければならないだろう。その点でもここで展開されている唯物論の視点は極めて示唆に富んでいる。]





 

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再録 岡崎乾二郎「芸術の条件・白井晟一という問題群」を読む機

2011年の8月に載せた、岡崎乾二郎「芸術の条件・白井晟一という問題群」を読む、の~垢里Δ舛劉機銑靴鮑謄▲奪廚靴泙后M縦蠅靴討い襦惴暁堂(仮題)』の準備の一環として。

 

(敬称略 []内は拙注) 

「美術手帖」2月号のこの岡崎乾二郎の論稿をいま初めて読む者は不思議な思いにかられるか、あるいは違和感さえ抱くかもしれない。この原稿が発表されて一カ月足らずして、3月11日東日本大震災の中で福島原発の事故が起こり、当事国日本ばかりでなく国際世界全体が「核」の問題を改めて突き付けられることになったからである。

「白井晟一という問題群 前篇」の内容は白井の原爆堂計画の解析に殆どが費やされているが、それはつまり、人類の背負った核の問題を抜きに論じられるものではなかった。と言うよりそれだからこそ岡崎は白井の原爆堂への関心を高めることになったのであろう。

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論稿は白井のエセー「豆腐」の解析から始まる。
純白な豆腐も大理石も「時間の長短に差があるだけで」「物質として、つねに変成しつつある過程のなかにある」と「物」の存在の在り方の不確定性をまず指摘した上で、

1.豆腐は「物質としては」にがりをいれた不安定な豆乳にすぎないものが一時的に達成された状態でしかない。つまり「われわれが豆腐と呼ぶものは、その生きた安定しない過程から、(人が)適切にそれを取上げ、扱う作法の中だけに現れる。」

2.豆腐を豆腐たらしめている、その作法の主体である人の理念と観念は、しかし今度は物質としての豆腐に裏切られ、結局「豆腐が得られるのは、物質と観念をむすびつける技術=用の過程においてだけである。」

岡崎の解析はこう続く。
3.「白井が語っているのは、理性(その目的)の求めに従って固定された対象ではなく、むしろ理性の把捉から逃れて、絶えず流動し続ける自然=物質としての豆腐である。理性の統御を超えた物質。その不安定な状態が、にもかかわらず緊密に結合して、豆腐という全体として現象する。」

4.そして「理性は不可欠でありながら、しかも不十分である」という白井の言葉を受けて、「自分自身が作った人工物―理性がその目的に沿って作成したはずの事物、を扱うのに、理性が不十分であるという逆説。すなわち技術が、人の理性による操作可能性を超えてしまうという事実は、白井がこのエッセイを書いた当時、多くの人に自覚されていたはずのものだった。」

5.つまり岡崎は白井の「豆腐」がかれの技術論であり、かつ現代の技術論に欠くことのできない原子核エネルギーの問題を論じたものであることを指摘しているのである。

6.「(用の過程が、豆腐を豆腐とするのと同じように)核エネルギーに関わろうとする時、先行するいかなる理性も安全の場所にはありえない。理性の関与に対して、必ずそれを裏切る素粒子の運動あるいは位置、その補足しがたさが理性を反省、転回させ、その反省=リアクションが物質のあり方をまた規定する。」

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第2章では、川添登の原爆堂に関しての説文や磯崎新の白井論が批判的にとり上げられる。

1.原爆堂計画には丹下健三の広島平和記念資料館や村野藤吾の世界平和記念聖堂などの「先行するプロジェクトへの、応答、批判も当然、含まれていると考えられる。」

[原爆堂計画の発表された1955年4月号の新建築誌には村野の聖堂も発表掲載され、今井兼次が文章を寄せている。また翌年の浅草善照寺の発表後、白井にしては珍しく長い論稿「仏教と伽藍」を発表しているが、これは暗に村野の聖堂という宗教建築へのとり組み方に対する批判を含んでいると思われる。]

2.「川添は『白井さんの作品には、近代主義建築家を逆なでするようなところがある』と語るが、原爆堂は「(川添登も後押しした)メタボリズム建築でもっともこのまれることになったキャンティレバー構造を先行していると言えるのではないか」「その表現は端的にSF的であり(この建築自体が科学施設のようだ)、60年代建築の感受性を先取りしているとさえ感じられる。」

3.「白井の《原爆堂計画》は後続するたとえばメタボリズムと、明らかな同時代性を持っている。いやむしろ語彙において先行している。」「にもかかわらず白井の《原爆堂》がメタボリズムなどの潮流と重ねられ語られることはほとんどなかった。」

4.むしろ「その後、白井の建築は時代の潮流からも主流からも不自然なほど遠ざけられ位置づけられることが定説のようになる。」

5.白井の建築は「晟一好みの事物がちりばめられ配置された、さまざまな場面=シーンの映像的連続であり、極めて個人的な思索の表出」といった常套句によって「孤高の建築家と煽てあげられながら、建築の正史からはほとんど排除されてしまう。」

[晟一好みというフレーズは磯崎の最初の白井晟一論で展開したもので、当時の若手の建築家や建築学生に多大な影響力を持ったとされる。松隈洋は最近の論稿「連綿と続く建築の歴史の中で」で磯崎による白井のマニエラ手法論が、彼の戦略上の文脈から強引に読み解かれたものであることを指摘している。]

[白井晟一という建築家のイメージに多大な影響力を持ったと思われる、川添と磯崎の白井論を批判的に捉えなおすことは、岡崎の本論では欠かせない問題であったと思われる。]    

6.「個人的趣味(思想)に耽溺した、素人で独学の建築家、白井晟一という定説。」が作り上げられた。

7.「メタボリックな建築をつくるということは(中略)外の時間とか社会とかへの姿勢でなく、自分の生命をかけてつくること」という白井の発言を受けて、それが文学的な精神論ではないことを洞察し、岡崎は自身の唯物論の根幹とも関わると思われる次のような一節で章を締めくくる。

8.「建築家自身の身体そして精神が、物質代謝から除外されているようでは唯物論としてお話にならない。(川添はメタボリズムという語をエンゲルスの『自然弁証法』から取ったというが)。正統な唯物論ならば自己の身体のみならず精神こそを物質に基礎づけ、物質代謝される対象として扱うだろう。」 

 

23:09 | 白井磨パーソナルブログ 「柊心居にて」 | comments(0) | trackbacks(0)

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