椅子のデザイン
1985年頃から木工家の早川謙之輔さんの提案で椅子のデザインを行い、かれが当時ほぼ毎年南青山のギャラリーアメリアで開いていた個展で5回という約束で展示することになった。あくまで試作品だから、デザインとしてはコンセプトデザインということになる。材料も製作も早川さんの提供で、僕はその都度彼の工房に伺いチェックをさせてもらった。自宅に泊めて戴き木のことを教えてもらったり、随分お世話になった。都合8点を製作し展示して下さった。皮革や布地、金属は一切使わず木だけでつくる約束だった。
早川さんは石水館(静岡市立芹沢げ霹術館)建設の際、父からの依頼で天井の木工事を製作されたときに、現場や工房で頻繁に打ち合わせをかさねて以来のお付き合いで、岐阜中津川のすや本店の改造設計や街道沿いの歯科医院の建築もかれからの要請と紹介によるものだった。当時の写真と掲載してくれた「室内」誌が2冊だけ見つかったので、ご紹介させて頂く。
早川謙之輔さんは2005年、67歳という若さで夭折された。長男の早川泰輔さんが 杣工房を継承している。

                      


   
       
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白井磨の建築設計 晨昏軒 
 
 晨昏軒 広島 2002年








  













 写真撮影 新建築社©

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白井磨の建築設計 ユピテルビル


                                                   
                              ユピテルビル 東京お茶の水 1990 



















  
 

                                   

                                            写真:©古舘克明、©新建築社
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白井磨の建築設計 すや本店改造
                   
                                 すや本店の改造 1985 中津川


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「すや」の店構えは、宝暦年間というから230年ほどまえに中山道と接する街並みに醸造酢屋として建てられ、そのご菓子舗に転じてからも補修改修を重ねながら、中津川では唯一遺され、かつ現役の店舗として活用されてきた。改造のきっかけは前面の新町通りの道幅を一間ずつ拡げ、目抜きの商店街としての体裁と機能を整えようという市の決定だった。大滝村の地震のさいには吹き抜けの壁にすこし亀裂が入っただけで大きな破損は免れたが、ファサードの桁はすでに以前から傾き、当座しのぎの補修の跡も無残になりつつあった。コンクリートのいかにも現代的なビルに建て替えるのではなく、出来ることなら200余年の歴史を生きてきた店構えを、それにすがりつくような保存という形でではなく、合理的な店舗としての機能を十分に果たして、なおかつこれからの長年月にも耐え続けられるようなものとして再生できればというのが施主の願いだった。

解体に着手して一層明らかになったのは、表に見えていたものだけでなく、建物に重ねられてきた改修は当初の建築を必ずしも忠実に保存しておらず、技術的にもそうとう杜撰な処理のために痛みの著しい個所が少なくないことだった。しかし決して上普請とも立派ともいえない建物が、町の人々からも、木曽の自然を慕って遠くから訪れる人々にも親しまれ愛されてきたのは、いかにも構えのない鄙びた風情のなかにも、いたずらに「うだつ」を上げることに腐心しようとはしない分別や、時代の風潮や流行に媚びることなく、純正でこころ楽しい栗菓子を愛情と誇りをもって作り続けて変わることのない気骨が、風説に耐えて生き続けていることへの共鳴や同慶を率直に感じさせるものだったからだろう。ともあれそのような理解から改造の設計を引き受けて進めることになったのである。

さて、すやの店構えは間口が五間ほど、奥行は二間だったが、その奥行を半分に切り詰めると廊下状のスペースしか残らない。また、桁入りであったから、一間切りとれば軒の高さは三尺以上も高くなってしまうことになる。継ぎ接ぎの改修で当初もっていたと思われる統一の失われた建物に、この二つの課題を克服すると同時に、筋の通った秩序を再生することが自らに課した私の仕事だった。

そのさいポイントになったのは、従来は店から奥まってやや切り離されたかたちで使われていた炉の付いた一段高い座敷の空間を、それ自体の独立性をたもちながら、店の核となるスペースとして組み入れることだった。そこは家族が集まって栗の煮炊きや菓子を作る生産の場であると同時に、客間や居間の性格もそなえた「家」の中心としての長い歴史を刻んできたところで、その機能を失った今日でも、すやにとっては何にも代えがたい意味をもっていた。頭上を覆う黒く煤けた梁組とともに、歴史に昇華され、実利的な機能や理屈を越えてなお生きた意味を保持し続けてきた空間である。それを店舗と一体にするということは、「家」の中心が「店」の中心でもあるような開かれた店舗としての構成を意味した。そしてそのことが先の物理的課題にも応えるさまざまの方法を提供してくれることになった。

建物の老朽化という時間的宿命と、車道に場所を譲らなければならない時代的要請が契機となり、ここで再生すべきであると考えたものは、老舗の看板やコマーシャルなレッテルとしての伝統や歴史ではなかった。人と時代の変質と向き合いながら、今日的な新しさや古さということの儚さや曖昧さを見据えつつ、受け継がれてきたものを、自らの伝統と歴史の特性において反覆しようとする、そういう意志と理性を保持する店構えの実現だった。それはまた互いに矛盾する「保存と再生」というアポリアに対する私なりの試みでもあった。(1985年12月号「新建築」発表時のコメントを2004年要約)


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 写真撮影 1.3.新建築社©  2.4.5.6.古舘克明©
19:54 | 白井磨の建築設計 | comments(0) | trackbacks(0)
白井磨の建築設計 等々力の家
 

                                            等々力の家 1992 東京























  写真撮影 松岡満男©
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白井磨の建築設計 雪花山房
  
  雪花山房 広島県 1998  WORKS IKUMA SHIRAIより





















 写真撮影 松岡満男©
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WORKS IKUMA SHIRAI

白井晟一研究所ホームページ「白井磨の建築設計」を更新しました。
「WORKS IKUMA SHIRAI」より30ページ分の画像を掲載しましたので、
下記よりご覧下さい。


⇒白井晟一研究所ホームページ「白井磨の建築設計」

22:30 | 白井磨の建築設計 | comments(0) | trackbacks(0)
建築と味  「WORKS IKUMA SHIRAI」より

こちらからご覧ください。
00:48 | 白井磨の建築設計 | comments(0) | trackbacks(0)

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