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サン・シャペルあるいは気配としての空間

私にとって空間というものの原イメージは、パリ、シテ島のサン・シャペル聖堂のステンドグラスに囲まれた空間だったように思う。ゴシック建築を彩るステンドグラスやバラ窓はそれ自体は平面的なものだから写真である程度想像することが出来た。しかしサンシャペルの階段を上がって、壁の全面にステンドグラスが嵌め込まれそこから部屋いっぱいに射し込む光に包まれた時、呆然として立ち尽くし、日が落ちてステンドグラスがただ黒い壁になるまでその場を離れることが出来なかったことを覚えている。

ある部屋の中に居て、空間を捉えようとしても、実際に見えるのは3方の壁や、天井、床であって、そういう視界の制限の中で空間は形のない透明な広がりでしかない。感覚的にはその空間は無としか言いようがない。しかしサンシャペルではステンドグラスを通過したさまざまな色の光が空間を満たしている。というより溢れるように満ちた光が空間というものなのだと思えた。光を通してはじめて目に見えてくるステンドグラスのさまざまなモチーフの形象や色彩を、絵画やモザイクの壁のように目にしながら、しかし人を圧倒するのはそのさまざまな色の光に満ちた空間である。

そのころ私は学校で、ヨーロッパの中世史や基督教史を学んでいたので、教会や宗教というものの聖性とは裏腹の、聖職者たちの欲望や権力の熾烈に展開する様を知識として少しは知っていたし、美しい教会建築も人々をいわばマインドコントロールしようとする教会の戦略に根差したものであったことの認識は持っていた。しかしそういう教会の思惑を越えて、聖なるものへの思いを重ねることも無く、数世紀を経て単に観光や建築を学ぼうとして訪れるものにも感動を与える空間として存在していた。



われわれの日常的な住居やさまざまの建築では、空間は観念としてしかなかなか捉えられない。パーツの総合として組み立てられ、光を明るさという機能として矮小化しているような建築ではなおさらである。

ドイツ語にStimmungという言葉がある。気分の意味だが、気配という、雰囲気に近い意味も持っている。ある人物が身の周りに漂わせているものから感じ取れるものであり、殺気などというのもその一つの例だろう。場所について使われる場合はその空間が状況の変化に応じて示す様相から感じ取れるものである。多勢の人が集まり賑やかに言葉が交わされていた空間でも、その人々が誰もいなくなって静寂になれば、空間としては同じでも、気配は異なったものになる。ある種の予知性や想像の伴う場合もある。そこで何かが起こりそうなあるいは何かが隠れているような空間の気配である。言葉とするにはアレゴリー解釈が求められるような場合である。

空間を感じ取るものが視覚だけであれば話は簡単だが、音や匂い、ときには触覚までが関わっている。サンシャペル聖堂でも昼と夜では全く違うし、聖歌隊の歌声が響いたり、香が焚かれたりすればまた別の相貌、気配を示すことになる。それらをまとめてStimmung-気配と言うことが出来るかも知れない。それは直観や思考や感覚によって捕捉されるものであり、空間をそこに居る人間との関係として示す言葉といえるだろう。

空間は建築の内部空間ということから離れて。都市空間や宇宙空間という言葉としても用いられる。人間を包み、人間の生命活動を規定している漠然とした広がりが日常的にはすべて空間と呼ばれるが、その場合でも、Stimmunng-気配は実証主義的客観主義の軛を超えて空間と人を結びつけるのである。
14:19 | 白井磨パーソナルブログ 「柊心居にて」 | comments(0) | trackbacks(1)
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私たちは仲間の動作を見たり言葉を聞いたりして、仲間が空間を感じ取っていることを感
哲学はなぜ間違うのか? | at: 2011/11/04 11:49 PM

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