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白井晟一展覚書 11 回顧展ではなく
 群馬県立近代美術館およびパナソニック汐留ミュージアムの「白井晟一展」の共通カタログには、実行委員会からのメッセージが記されているが、そこでは「われわれは回想や謎解きを目指すことは無かった」と述べられており、回顧展というコンセプトを退けている。8月に開催された東京造形大学の展覧会の名前は「SIRAI,いま 白井晟一の造形」で「いま」に重点を置いている。この2つの展覧会の主催者に共同関係はないが、どちらにも白井を思い出して懐かしむというような抒情的な感情はない。そうではなくて、今現在、この時代に生き、活動している者にとって、どのような意味があるのかを問題として、問いかけている。意味があると思うから開催しているのだろう、と思われるかもしれないが、実際のところ、開催者たちはその点では半信半疑なのだろうと思う。展示を中心にシンポジウムやカタログで発信される言葉を通して、その答えを模索しているのだと思う。つまり展覧会はどんなキャッチコピーが付けられていようと、問いかけであってそこに答えは前提されていない。
 これに対して、再刊された白井晟一のエセー集「無窓」を解析して解説を書かれている松山巖さんの考えはかなり明解である。「縄文的なるもの」の舞台となった韮山の江川邸を訪れたあと、かれの文章は次のように始まっている。「白井晟一はいまこそ読まれるべきである。いやむしろ一見すれば豊かだが、この淋しくも乏しい二十一世紀に生きる我々であればこそ、彼の予見は理解されるのではないか。」もちろんエセーについて、白井の言葉について述べられているのである。
 「縄文的なるもの」については、「大体、彼は縄文そのものを論じていない。考察は『縄文的なるもの』であって、岡本のように縄文土器を称賛したわけではない。江川邸住宅はもとより縄文時代の住まいではなく、江戸初期の建物である。」「弥生的なものを批判したのは、日本の伝統をいかにも情緒的に洗練された型や形で見ることを拒否すればこそで、ともかく江川邸住宅から考えてみろというのである。」「さらにいえば彼は、弥生だ、縄文だと分類しても意味はない、伝統は手本だと思い込み、一筋の希望を見ようとする日本人のコンプレックスを嗤い、かつ悲しんでいるのだ。」「白井はこの時期にいかにも縄文だと思わせる建築作品は創っていない。」「55年には『原爆堂計画』を発表し、56年『松井田町役場』を、58年『善照寺』を竣工させているが、いずれも縄文だと思わせる仕事ではない。荒々しく猛り狂った神経は内面に湛えられ、外観はあくまで静謐で、見る者に内省の時間を与える作品である。」
 松山さんは「豆腐」「めし」についてもその中核にしっかりとメスを入れえぐり出されているが、私がとりわけ魅かれたたのは、「仏教と建築」を解析する中で、白井の思想に大きな影響があったと思われる戸坂潤の獄死とヤスパースの背負ったものなどに触れ、「知はいずれにせよ、凄惨なのだ。」と地声で絞り出すように記されているところである。自らの命や人生を背負ってもいないような理論や言葉を知とはよばない。「無窓」の解説という形で書かれたこの論考には、白井というテーマを離れてもなお、日本の近代建築ばかりでなく、日本人の築き上げた現代文化への重い視点が摘出されている。
 
21:48 | 白井磨パーソナルブログ 「柊心居にて」 | comments(1) | trackbacks(0)
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はじめまして自他共に認める白井ファンです。昨日、群馬近美行ってきました。展示物は勿論、用意周到に考えられた展示構成、謎の多い白井さんの事が少し解った気がしました。素晴らしかったです。機会があればもう一度足を運びたいと思います。
Posted by: 橋本薫 |at: 2010/09/16 11:55 PM








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