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親和銀行大波止支店の建築について

 白井晟一が1963年に竣工させた長崎の親和銀行大波止支店の建築が、経営の合併統合の流れの中で存続が危ぶまれているのだという。2010−11年にもそれに類する事情で閉鎖解体の話が伝わり、それに関連してか当時の頭取が丁度開催されていた高崎と東京の「白井晟一展」を訪ねて来られるという一幕もあった。そんなことがあり開催中の「白井晟一展」を長崎に巡回して存続への足掛かりに繋げたいと長崎の美術館とも交渉したが、急のことであり不調に終わった。

 大波止支店の建築は親和銀行の初代頭取北村徳太郎氏がすでに計画されていた佐世保本店の設計を白井に委託する前に、白井の力をいわば見定めようと設計を発注したものであったらしい。この建設の際にはバンキングホールの床のカーペットをめぐり銀行と白井の間でやりとりがあり、地域的に長靴履きの漁業関係者が多くカーペットはなじまないし贅沢だいう銀行に対して白井は、維持管理に手間がかかるのは分かるがそれだけ汚れたり、そのため摩耗しても、それだけ顧客に銀行が利用されたということであり、労働が終わって1日の収益を預けにくる銀行がホットできる空間を提供しそのため多少管理の費用が増えてもそれが顧客に対するサービスになるのではないか、カーペットはホール内で歩き回る雑音も減らし静かな空間を提供できると話して、銀行もなっとくしたという逸話が残っている。その後大波止支店の顧客数は大きく伸びたと聞いた。

 以下は1984年、白井の没後1年たって刊行された『白井晟一研究 后戮坊悩椶靴神枴検屮ぅ蹈法爾陵夕亜´掘廚蚤臟隼濟拇垢某┐譴唇貔瓩任△襦

 

 「長崎の親和銀行大波止支店は白井がかれの設計したものの中で最も好んだ建築であった。北木産の鑿取仕上げの施された御影石張りの、2階分高さのファサードの壁は湾曲しており、それを左右に伸びるギャラリーのストレートなラインが囲む静かで優しいたたずまいの建築である。硬質で強いテンションを示す「原爆堂計画」とは対照的である。それにもかかわらず、私は原爆堂と繋がる建築的意想を感ぜざるを得ない。それは一つのモティーフの雌雄を見ているようなのだ。内部のバンキングホールはファサードをそのまま反映して壁は弧を描き、穏やかな採光を受けて吹き抜けの静かな空間が広がる。この建築には内部も外観にも地方金融機関の支店という機能的性格を持ちながら、かつて白井が雪国の人々の雪と戦う生活に直面して示したような、土地の人々に対する深い同情と敬愛の祈りにも似た姿を見て取ることが出来る。

 原爆堂計画の作者としてのかれが、町の被爆の歴史に対するひそかな思い入れをその建築的モチーフにだぶらせていたであろうことは、むしろそのことを抜きにこの建築を読み取るほうが難しいだろう。建物を囲むギャラリーは祈りの列を優しく守り覆うにふさわしく、浅い池に浮かぶようなファサードも内部のホールも、深く静謐な慰霊の魂を包む空間に似つかわしい。」

 

17:15 | 白井磨パーソナルブログ 「柊心居にて」 | comments(0) | trackbacks(0)
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