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「白井晟一の原爆堂展」で思うこと

          原爆堂計画と「縄文的なるもの」

 

原爆堂計画(1955)の翌年書かれた「縄文的なるもの」(1956)は建築界の伝統論争のさなかに発表された。そのためもあり他のエセーに比べて取り上げられることも多かった。しかし建築界での理解はたいてい縄文と弥生という単純な二元論のベースにとらわれ続け今日に至ってもそれはさして変わらないように見える。白井が文中明確に記しているように、かれは弥生的なるものを「形象性の強い」定型化された伝統の系譜として捉え、そこから脱却するために「縄文」とのディアレクティークを方法として提示したものだった。そしてそれは「創造の問題として」と限定しているように、歴史の解釈の問題として論じているのではなく、まさに展開していた建築界での伝統論争に向けられたものだった。丹下健三の伝統論を含め建築の形や様式に偏りすぎた伝統論争そのものを批判するものだった。しかし言葉と当時の建築作品で明確に示されているにもかかわらず、「縄文的なるもの」の不正確で二元論的な理解はやがて「縄文好きな建築家」あるいは「晟一好み」といった言葉を生み個人的な趣味的世界へ白井観を導くことになる。

今回開かれている「原爆堂展」は建築を紹介する図面やビデオが中心になっているが、主催者のコメントや解説にも表れているように「原爆堂計画」のメッセージが表にたてられている。311以後の社会の現実と関わる問題として原爆堂計画から読み取られた「共存」や「対話」というコンセプトが掲げられている。それは造形やデザインにのみこだわるのではなく、かれの残したコメントを含め原爆堂計画のもつメッセージ性に目を向け耳を傾けようとしたものであり、「縄文的なるもの」で論じられたように戦後の日本の近代建築の形象性の偏重にたいして白井が提出していた答えを示しているものとして原爆堂を捉えたからである。

                                             2018.6.10.  白井磨

 

 

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