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白井晟一と近代

 以下は拙論「言葉と建築 白井晟一の戦後と原爆堂構想」(『白井晟一の原爆堂 四つの対話』2018. 晶文社刊の序論)からの一節です。白井晟一にとって近代という問題は、近代技術の頂点を示す原子力の開発と向き合うことなしに成立するものではなかったということを示しているものが「原爆堂計画」であるという視点から解析を試みたものです。

 

 「白井が欧米の近代建築、近代主義を規範とする意志を持たなかった点では前者に属する立場ではなかったことは明らかですが、かといって後者の立場で捉えることも的からずれてしまうように見えます。エセー「豆腐」「めし」は生活の中にある「現実」を物と人のメカニズムと民族の歴史から捉え直そうとする作業でした。かれの「伝統」論は日本の伝統を単に欧米と比較するのではなく、それまでの日本の伝統の捉え方に対する疑義と批判のなかから、伝統の原点を探り新たな文脈を見出そうとするものであったことはエセーにくり返し見たとおりです。「近代好きな」戦後建築に同調することがなかったのは、同時代としての近代は現実のものではあっても、時代を一定の概念で括ってそこから規範や様式を定位するといったイデオロギー指向は、袋の中身を変えただけの戦前、戦中の思考形態と質的に変わらないものであり、戦前から抱えられてきた近代の持つ矛盾や問題を宙吊りにしたままで「近代」的であることに正当性やアクチュアリティ—を求める思考は、白井にとってはむしろ自由な創造活動を内側から阻むものとして克服すべき課題であったことは、1967年の原広司氏のインタヴューに対して「イデオロギーでは自分の仕事が育たなかったことに気がつきかけたのがおそかったんだが」という述懐に現れていますが、さらに1974年の作品集では「原爆堂計画」について述べる中で「概念や典型の偏執から自由になることはそのころの自分にとって難しい、大きい作業であったが」と回想していることからも窺えます。」

22:21 | 白井磨パーソナルブログ 「柊心居にて」 | comments(0) | trackbacks(0)
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