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「白井晟一の戦後と原爆堂構想」第5章から

「原爆の日」を迎えて

                          5

 

 「豆腐」に続けてその翌月同じ『リビングデザイン』誌に発表された「めし」は次のようなフレーズで始まります。

 

「野外に出て無限な蒼穹を仰ぐとほっとする。これが理想の色かと思う。生きている本当の理由が、身内に湧いてくるのである。自然の叡智が人間の自由な生命をあらゆる強制から解きほぐしてくれるからだ」

 

 「豆腐」で終わらず「めし」が論じられたのは「めし」が「豆腐」よりも自明な「用」を示しているからでした。「豆腐」では「用」を通して「美」が取り上げられましたが、「めし」では「美」を「人間が作るものとは言い難い」と退け、「『美』をつくる術が人間の手にあると思い上がったときから、人間の生命と自然の根本法則との連着が断ちきられてしまった」と指摘します。「めし」の原点はそのような切断以前にあり、「めし」はまず神に捧げられ「人間の生きる糧であると同時にまた『神』の力を養うもの」でした。「めし」が「単純に手段ではなく、人間の生きる理由であり目的であった」のです。そして「めし」はかかる『神』と人間の生命を内面的に契合する具体的なコオペレイィションの『用』であり、象徴となった。『めし』は日本的形姿の母体たらざるをえない」と『めし』の伝統が論じられます。

 そして変動する歴史の中で「人間の生命と自然の根本法則の連着」が切断されても、「日本的人間構造の表徴たる『めし』は、あたかも文化がどのように進んでも人間の悲しみ笑う理由に変りのない如く、その意味と価値を変えるものではなかった」と論じられます。しかしその歴史の過程で生じたさまざまの差別や貧富、理不尽や背理と「めし」もまた無縁ではありませんでした。「一つの櫃(ひつ)から分配される『めし』の椀を満たすのは必ずしも等しい量ではない」のです。そしてそこから起こる分裂を繋ぎ止める母の祈りと犠牲と愛が描かれます。

 

 「母の給仕は空虚な仕事の反覆たることを許さない。平衡と調和の配分の後、櫃の中にはしばしば『めし』は祈りと愛の故に一粒も残さないのである。母の生命を支える『めし』は犠牲の愛としてしか残っていない。しかしこの小さいコミュニティを、異なった世界観をもっても分裂させず、内部から繋ぎ堪えるものは不幸にもかかる背理であり、常に『めし』の『用』を極限に高めた『母』の犠牲であった。」

 

 日本的な伝統の原点に示された「めし」はこうして「一つの生命が他の生命に奉仕する」ことである「用」の究極的な形として描かれます。しかしその「めし」は人と物との関係では終わらずに、「『めし』の『用』を極限に高めたの」は「母」の犠牲的な愛であったとする人と人の関係へと導かれます。そして「小さいコミュニティを、異なった世界観をもっても分裂させ」ない「母」の無私の愛と犠牲という背理を示すことでエセーは結ばれます。ここで取り上げられている「小さいコミュニティ」が一つ一つの家族ばかりでなく、「世界観」という言葉を通して国や世界や人類に向けられていることは明らかです。「異なった世界観」による分裂やいさかいは世界大戦後も続く世界の現状でした。その中に原爆の問題もあり、「原爆堂計画」の主旨に示された「共存」とは「異なった世界観」による分裂を克服することによってこそ可能性が生まれるものであり、理想主義的な理念としてではなく、母の犠牲の愛といった「背理」を背負う理念として捉えられていることが認められます。

 

                                                      白井磨

02:13 | 白井磨パーソナルブログ 「柊心居にて」 | comments(0) | -
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