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 ゴジラと原爆堂 加藤典洋氏の白井晟一論から 

75年目の終戦記念日を迎えて、『白井晟一の原爆堂・四つの対話』(2018年 晶文社)の中で加藤典洋氏が語られた一節をご紹介します。

 

 この前の戦争では310万人が日本で亡くなりました。ということは、3000万から4000万もの人が自分の身近な人間に死なれているということです。当時日本の人口は7000万人だったので、ほとんど半数がそういう目に遭っていたことになります。自分の身近な人に死なれて、それも戦争なんかで死なれたら、その後の人生はもうない、そう思います。とはいえ、その苦しい体験から生まれる無念は生きている限り、その生き残った人を動かします。白井晟一はそういうものをちゃんと受け止めることができる人間だった。またそういう建築家でもあったと思います。

 それが、なぜ原爆という人類史的な惨禍を経験した社会から、それを受け止めた建築計画が、かれ以外からは出てこなかったのか、ということのもう一つの答えでしょう。

 白井晟一は、そういう意味では日本の戦争を建築家として背負おうとしたのだとも言えます。ぼくがこの間よく言及してきたゴジラは、1954年11月の封切り(シリーズ第一作)ですから、ほとんど白井の「原爆堂計画」と同時期に生まれています。ぼくの解釈は、ゴジラには日本の戦争の死者の無念さが凝集されている、というものですが、その解釈に立てば、ゴジラが、なぜ復興なった日本に南太平洋からやってくるのか、という問いの答えは、あれは帰ってくるのだ、ということになります。ぼくはゴジラについて書いた文章の一つに、もし自分につくらせてくれたら、次のゴジラには靖国神社を破壊させる、と書いたことがあるのですが、ゴジラの問題は、戦争の死者たちにとって、いまの日本には、本当に帰ってくる場所がない、ということだと思うのです。

 どこに帰ってくればよいのか。かれらを受け入れる場所は、どれくらい広くて深くなければならないか。「原爆堂」はTEMPLE  ATOMIC  CATASTROPHES  なんですね。テンプル、お寺、墓所でもある。ですから、戦争が手がかりだという磨さんの意見には僕も同意できます。

 

 

13:55 | 白井磨パーソナルブログ 「柊心居にて」 | comments(0) | -
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